快適な自宅ICU生活

  皆様こんにちは私は1951年生まれの71歳になろうとする老人です。現在在宅で寝たきり一人暮らしの生活をしております。その前は障害者支援施設で約7年間お世話になってました。今から約12年ほど前歩くときに足に違和感を覚えました。それまではごく普通の健常者として仕事をしてましたが、内科診察、整形外科、MRI、色々検査をしましたがよくわからないことだけでした。それで紹介状をいただき琉大病院の神経内科に行くことになりました。そこでもなかなか病名がはっきりしなくて入院していろんな検査をしました。そして約2年後病名が決まりました。神経難病の「多巣性運動ニューロパチー」と診断されました。定期的に入院し「免疫ブログリン」の点滴の注射をしていました。徐々に足や手や指が動かなくなり現在は首から上は動きます。パソコンや電気のスイッチや扇風機、クーラー、携帯など特殊な機械を使って自分で操作しています。

子供は三人孫二人いますが、一人で生活をすることを決めて在宅の高齢者として毎日有意義な日を過ごしております。自分でできる事はといえば息を吸うことぐらいです。その他のことはすべて皆様のお世話になっております。

生活を支えてくれる皆様は看護師、介護士、訪問診療、それ以外に訪問入浴、買い物、家事支援、宅配弁当、訪問歯科、ゴミアシスタント、沖縄県障がい者ITサポートセンターで在宅就労支援B型の仕事もしてます。私の生活はすべて公的な支援で成り立っています。それ以外に個人でヘルパーさんをお願いすることはありません。障害者手帳は1級、障害支援区分6、要介護5、これ以上の障害のある人はいないと自分では自負しております。

昨年の11月沖縄看護大学の田場先生と砂川先生が来てくれました。そして砂川先生の働きかけにより、私はアメーバブログを始めることになりました。最初はブログとかチャットとかそういうことは全くやったことがなかったので、ブログというイメージがなかなか出てこなかったんですけども、砂川先生が何度もお越しいただきブログをお勧めになるもんですから「まあしょうがないからブログでもやってみるか」という軽い気持ちでブログを始めました。昨年11月末から始めたブログは半年間で投稿回数が千回を越えるようになりました。自分でもとてもびっくりしております。ブログを始める前はパソコンで趣味の囲碁やプロ野球や音楽を聴くぐらいでした。今ではあれ程好きだった囲碁、プロ野球もあまり見なくなりました。

それでも囲碁5段になるという目標は持っています。私のブログは入院闘病というジャンルです。実はブログに投稿して下さる皆様方のブログを毎日読むことでいろんな病気の人がいたり、苦しんでいる家族がいたり様々な人生を読ませていただくことによって、私自身の人生の大きな大きな勉強となりました。投稿されたブログを読んで涙を流したことも何度もあります。

砂川先生から高齢者の社会貢献というお話が出ました。時に動けない私の様な高齢者が何の社会貢献ができるのだろうと思ってました。そして今ではブログを投稿することによって少しでも社会貢献につながるかもしれないと考えるようになりました。私は特に障害者に対する社会的障壁や合理的な配慮の問題について投稿することが多いです。障害者の施設から自宅に戻り一人で生活をしようと思ったことについてちょっとお話します。まず第一に施設というのは当然ですけれども、一日の流れというのが決められています。だから自分の自由にはなかなかなりません。実際問題寝たきりになってしまったので施設にいても自宅にいても同じということになりました。最初施設に入所した時は腕は自由に動けたので車いすを使って施設内や中庭など自分が行きたいところにいつでも行ってました。中庭からは海が見えて船が通るし、飛行機も那覇空港に向かっていくしそれを眺めるのも楽しみでした。

病気の症状が進むにつれてベッドから車椅子へ自分で移乗することができなくなり、すべて職員さんの手を借りて移乗するようになってしまいました。そうすると自分が行きたい時間夕日を見たい時間星空を見たい時間、これがかなり制限を受けてしまうようになってしまったんです。大きな原因と言いましょうか、自宅へ戻ることに決めたのはそういう自由に暮らしたいということが一番大きいかと思います。当初家族は私が自宅に戻り一人暮らしをすることに猛反対してました。しかし定期巡回随時対応型の看護、介護、訪問診療、そのようなサービスがある。おかげ様で寝たきりの老人が一人暮らしができるというわけです。それで実際自宅に戻り毎日趣味の囲碁やプロ野球あるいは音楽をユーチューブでいつも聞いてました。そこへ去年の11月は馬場先生と砂川先生がこられていろんな話をするようになり、ブログにハマるし社会貢献らしき事、あるいはお世話になった皆様社会への少しでもご恩返しができるならばと思い毎日ブログを書いたりしているわけです。

看護師さんは週に3回来てくれます。私は普段服用している薬というのは降圧剤の「ロサルタンK」ぐらいですけれども、夏になるとあせもができたり背中がかゆくなったり、そのような症状が出てきたら看護師さんに薬を塗布してもらっています。あと看護師さんは髭剃りやはみがきや着替えやおむつ交換や食事介助やそれ以外にバイタルの測定などをして私の健康状態を絶えずチェックし管理していただいてます。食事は宅配のお弁当屋さんが来てくれます。この弁当も那覇市の高齢者の一人暮らしの補助事業になっています。お陰様で昼ごはんは弁当代200円を私が負担しています。買い物とか家の掃除なんかは家事支援の援助があります。この家事援助は1時間半の週に二回ありますので、買い物や掃除洗濯で苦労することもありません。あと訪問入浴の件ですけれども三人で行きます。一人は看護師さんでお風呂入る前と後で必ずバイタルのチェックをしています。お風呂は風呂場でシャワーキャリーに座っているわけではありません。なんと訪問入浴の職員さんが浴槽を持ってきて組み立ててそれにお湯を張って溢れるお湯は外に流し出すような仕組みになってます。

私はかなり昔から年をとったら子供の世話にはならないと決めてました。その理由ですが現代社会は夫婦共働きでなかなか親の面倒を見ることは難しいと思います。それと子供に負担をかけないということが精神的には私としてはとても楽なことです。もちろん同居していたら、毎日子供や孫とお話をすることはできるでしょう。しかしそれよりも私は自分自身の人生を歩むということを若い時から考えてました。学生時代私は仏教とか哲学とか自分なりに勉強をして人間とはなんであるのか、人間は必ず死ぬんだと。それじゃあどういう死に方がいいのかというふうなことは常々考えておりました。だから自分自身が寝たきりになり一人暮らしをしているわけですけれども、今日のお話のタイトルにありますように現在私はとても快適な自宅ICUの生活を楽しんでいるわけです。ついでに申し上げますと私はいわゆる延命治療は拒否しております。いつの日か寿命が自然に枯れていくという人生を選択しているわけです。現在では病院や施設でお亡くなりになる方のほうが多いようですが、ほんの少し前までは自宅で息を引き取るというのがごく当たり前のことでした。だから私が小学時代に祖父母がなくなりました。けれども当然自宅で亡くなってますあの当時病院で亡くなるというのは聞いたこともありませんでした。周囲の家族親戚にとっても自宅の自然死というのは、いいことはあると思います。それは人間の最後の姿を見ることができるということです。自宅での最後の姿と病院での最後の姿では全く違うものがあります。その死に様、死に際を子どもや孫に見せることが親、あるいはおじいさんおばあさんの責任でもあると思います。それがいい意味で子供たちに対する大きな教育にもなっていくと思います。そしていつのまにか肉体からさよならをして神様仏様、私の母親が迎えに来るまで私は楽しい人生を送っているわけです。

最後になりますけれども一つだけ将来の看護師さんを目指す皆様にお話したいことがあります。それは病院であれ自宅であれ高齢者の死と向き合う事もあるでしょう。その様な現実の場に会うことも出てくるかと思います。そのときに看護師さんとお年寄り(利用者)の人間関係がとても大事だと思います。それはお互いが信じ合う、この気持ちがあれば世の中怖いものは何もないと思います。今後皆様方がお年寄りや患者さんの心に寄り添うような看護師さんになられること、そして大湾先生、田場先生、砂川先生の心を学ぶことを切に願います。本日はありがとうございました。

私のハイビスカスです。突然変異かな?

(外間健)

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